「伊藤清のブラジルレポート」第6回 「1964年の文章表現」と「2016年の撮影手法」

IBC内のマルチ分割映像
IBC内のマルチ分割映像

 サッカーワールドカップと並び、世界中の注目を集める国際的ビッグイベント、オリンピック。

 本サイトでは、長年に渡りオリンピックやワールドカップ等でのテレビ中継システムの構築を担い、今大会も現地と日本の視聴者の懸け橋となる株式会社メディアプロデュースジャパンの伊藤清氏による、リオ五輪の現場から最前線の情報を伝える「伊藤清のブラジルレポート」をシリーズ配信する。

 閉会式が迫るリオデジャネイロからお届けする「伊藤清のブラジルレポート」。第6回は「1964年の文章表現」と「2016年の撮影手法」――
appbnr_ios2

「伊藤清のブラジルレポート」第6回 「1964年の文章表現」と「2016年の撮影手法」

 いよいよリオデジャネイロ五輪も幕を閉じようとしている。最終日に行われる閉会式では、4年後の開催地となる東京への引き継ぎも大いに注目されるだろう。今回はオリンピックを伝える表現について書き記そうと思う。

 三島由紀夫は1964年の東京オリンピックを観戦したときのことをエッセイに残している。その中で、女子百メートル背泳についての感想をこう書いた。

 「それにしても八本のコースに立てられた八つの水しぶきが、みんな女の腕の立てるしぶきだと思うと、すさまじい。これは女性八人のもっとも崇高なおしゃべりというべきだろう」

 実際の水泳会場で観戦をしたのか、テレビで観戦をしたのかは定かではないが、八本のレーンから上がる水しぶきを「崇高なおしゃべり」と表現するあたりは、いかにも唯美派の三島らしい。

 テレビ観戦の観点で言うと、当時と比べて現在は、撮影・録音技術が各段に進んだと言える。画質、音質がきめ細やかになったのはもちろんだが、ワイヤーカメラを使った上空やからのアングルや、超スロー再生による瞬間の映像、またバーチャル技術による、国旗や選手名の表示、W.R(ワールドレコード)の線を動かしながら画面に重ねるなど、多種多様な表現ができるようになった。

 そういう意味では至れり尽くせりになった分、限られた映像と情報の中から、自分なりの想像や解釈を求めて愉しむという幅は、狭まってしまったかもしれない。

 しかし我々放送メディアに出来ることは、ありのままの選手の姿を映像と音声を通じて伝えることなので、その瞬間を逃さない為に、あらゆる撮影技術や手法を駆使することに努めている。

 もし三島が現在のオリンピック放送を見たなら、どんな感想を持ったのか?大変に興味深いが、どんなに撮影技術や手法が進歩しても、競技に臨む選手の姿勢や精悍な表情は、当時も今も普遍なのだから、1964年と同じ表現をしたのかもしれない。

IBC内のマルチ拡大映像
IBC内のマルチ拡大映像

 今大会も、選手たちが躍動する様々な瞬間をカメラが捉えた。この写真は高校生スイマーが世界の大舞台に挑戦しているシーンだが、優美で勇敢に泳ぐその姿は、どんな撮影の仕方をしたとしても、ただ美しいというべきだろう。また本コラムであらためて、日本が世界に誇るスーパーハイビジョンについても紹介したいと思う。

 ではまた近いうちに、Ate logo!

(伊藤清)

※PAGEVIEWでは伊藤氏への質問を受け付けています。現地の伊藤氏への質問は【info@pageview.jp】までお送り頂けましたら幸いです。

appbnr_gp2

文責は日本語のみ