2025年冬、狩る側が狩られる側へ OpenAI「コードレッド」発動の皮肉と必然

歴史は繰り返さないが、韻を踏む。マーク・トウェインのこの言葉ほど、現在のシリコンバレーを冷徹に描写しているものはない。

時計の針を3年前に戻そう。2022年末、ChatGPTの登場に戦慄したGoogle経営陣は「コードレッド(緊急事態)」を宣言した。検索帝国の落日──。メディアはこぞってそう書き立てた。だが2025年12月、今度はOpenAIのサム・アルトマンが社内に「コードレッド」を発令した。

かつての革命児は今、Googleという巨人の猛追と、Anthropicという職人集団の挟撃に遭い、防戦一方に追い込まれている。なぜ「一強」と思われたOpenAIが、なりふり構わぬ非常事態宣言を出さざるを得なかったのか。その背景には、きれいごと抜きの生存競争(Survival of the fittest)と、AIビジネスが直面した「残酷な構造」がある。

「Gemini 3」という悪夢──性能差の消滅とエコシステムの暴力

事の発端は、2025年11月にGoogleがリリースした「Gemini 3」だ。

これまでのGeminiは、ベンチマークでChatGPTに肉薄しても、ユーザー体験(UX)で劣ると見なされてきた。しかしGemini 3は違った。推論能力やコーディング性能でGPT-4oを明確に上回っただけでなく、Googleのエコシステム(検索、Gmail、Android)への統合が完了していたからだ。

OpenAIにとっての悪夢は、単にモデルの性能が抜かれたことではない。「性能が同じなら、Androidに最初から入っている方を使う」という、コモディティ化の波に飲み込まれ始めたことだ。実際、Gemini 3の公開からわずか2週間で、ChatGPTのデイリーアクティブユーザー数が数パーセント減少したというデータすらある。

これまでOpenAIは「魔法のような賢さ」を独占することで、不便なUIや高額なサブスクリプションを正当化してきた。だが、その魔法がコモディティとなり、Googleがそれを無料でばら撒き始めた瞬間、OpenAIの優位性は蒸発した。アルトマンが恐れたのは、技術的敗北ではなく、この「無料の暴力」だ。

捨てられた「Pulse」──生き残るための損切り

アルトマンが発したコードレッドの中身は、極めて具体的かつドラスティックだ。彼は社内メモで、現在開発中のサブプロジェクト──広告機能、ヘルスケアエージェント、そしてパーソナルアシスタント機能「Pulse」──をすべて一時凍結し、全リソースをChatGPT本体の「知能向上」に集中させるよう命じた。

これは経営判断として非常に重い意味を持つ。なぜなら、「Pulse」や「広告」こそが、将来のマネタイズの柱になるはずだったからだ。それを捨ててまで、なぜ今、基礎体力の強化に走るのか。

理由はシンプルだ。AIモデルの開発競争が「赤の女王仮説」の領域に入ったからである。「その場に留まりたければ、全力で走り続けなければならない」。競合他社が次々と高性能モデルを出す中で、多機能化やマネタイズに浮気している暇などない。純粋な「知能」のスペックで負ければ、ユーザーは一瞬で離反する。

OpenAIは今、なりふり構わず「Garlic(ガーリック)」というコードネームの新モデル(GPT-5.2相当とも噂される)の開発を急いでいる。これはGoogleやAnthropicのClaude Opus 4.5に対抗するための、純粋な殴り合いの道具だ。彼らは悟ったのだ。プラットフォーマーになる夢を見る前に、まずファイターとしてリングに立ち続けなければ死ぬ、ということに。

「先行者利益」という幻想の崩壊

今回のコードレッドが浮き彫りにしたのは、生成AI市場における「先行者利益(First Mover Advantage)」の脆さだ。

インターネットの黎明期、AmazonやGoogleは先行者としてネットワーク効果を築き、独占的な地位を確立した。しかしLLM(大規模言語モデル)の世界では、後発者が先行者の成果を学習し、より効率的なアルゴリズムで安価に追いつくことが容易にできている。

現に、Anthropicは2025年8月、OpenAIが自社のClaude APIを使用してGPTのトレーニングを行っているとして、アクセスを遮断したと報じられている。これは、トップランナー同士が互いの肉を食らい合う、泥沼の消耗戦に突入したことを意味している。

OpenAIにはGoogleのような検索エンジンもなければ、Appleのようなハードウェアもない。あるのは「世界一賢いAI」というブランドだけだ。その唯一の資産が揺らいだ時、彼らには守るべき「堀(Moat)」が存在しないことが露呈してしまった。

進化の袋小路で踊る

2026年を目前に控え、OpenAIは創業以来最大の試練に直面している。アルトマンのコードレッドは、単なる開発の号令ではない。「もっと速く、もっと賢く」なり続けなければ即座に陳腐化するという、生成AIビジネスの呪いに対する悲鳴だ。

ユーザーにとって、この競争は喜ばしいことだろう。より賢いAIが、より安く手に入るようになるからだ。だが、その裏で繰り広げられているのは、巨額の資本を燃やしながら、わずかな性能差を競い合う焦土作戦である。

かつてGoogleをパニックに陥れたOpenAIが、今やGoogleの影に怯えている。この皮肉な逆転劇が教えてくれる教訓は一つしかない。テクノロジーの世界に安住の地はなく、あるのは「進化し続けるか、死ぬか」という、あまりに生物学的な掟だけだ。

(Zach Kerr)