1泊10万円は「高い」のか? 東京の高級ホテルがNYを超えた残酷な理由

「東京のホテルが高すぎて泊まれない」。ここ数年、SNSやメディアで繰り返されるこの嘆きは、2025年12月現在、決定的なデータによって裏付けられた。

米調査会社CoStarの発表によれば、東京都内の高級ホテルの客室単価は、10月までの1年間で平均626ドル(約9万7000円)に達した。これは、かつて世界最高峰とされたニューヨークの高級ホテル平均(約615ドル)を上回り、ロンドンやパリさえも凌駕する水準だ。東京は名実ともに「世界で最もホテルが高い都市」の一つとなった。

しかし、ここで思考停止して「便乗値上げだ」「バブルだ」と憤るのは、経済の基礎(ファンダメンタルズ)を理解していない証拠だ。起きているのは一時的な高騰ではない。グローバル市場における「価格の適正化」と、日本人が国際的な購買力を失ったという「貧困の証明」である。

「600ドル」に見る通貨の残酷な非対称性

なぜ、東京のホテルはニューヨークを超えたのか。第一の理由は、通貨価値の非対称性(Asymmetry)にある。

平均626ドルという価格は、日本円で給与を得ている我々にとっては「約10万円」という重たい数字だ。しかし、インフレが進む米国の富裕層にとって、600ドルは決して法外な金額ではない。ニューヨークのマンハッタンで、ドアマン付きのまともなホテルに泊まろうとすれば、1泊800ドル、1000ドルは当たり前の世界だ。

つまり、外国人富裕層にとっての東京は、依然として「サービスレベルに比して割安(Reasonable)」なままである。彼らは「値上げされた東京」を買っているのではない。「自国通貨に対してバーゲンセールされている世界最高水準のサービス」を、適正価格で消費しているに過ぎない。

悲鳴を上げているのは、実質賃金が上がらないまま円安に放置された日本人だけだ。ホテルの価格設定は、もはや日本人の財布に合わせていない。彼らがターゲットにしているのは、ドルやユーロを持つ「グローバル市民」であり、日本人は市場から静かに退場を命じられたのだ。

圧倒的な供給不足という「構造的欠陥」

価格を高騰させるもう一つの要因は、物理的な希少性だ。東京は世界的な大都市でありながら、富裕層を満足させる「真のラグジュアリーホテル」の数が、欧米の主要都市に比べて圧倒的に少ない。

ファイブスター・アライアンスなどのデータを参照するまでもなく、パリやロンドンには歴史ある高級ホテルが数百軒単位で存在する。対して東京は、外資系ブランドが進出し始めたのが遅く、パレスホテルやオークラといった国内勢を含めても、ハイエンドの客室在庫(Inventory)は決定的に不足している。

そこに、コロナ禍明けのペントアップ需要(繰り越し需要)と、円安によるインバウンドの爆発が直撃した。経済学の基本通り、供給が限定的な場所で需要が爆発すれば、価格は垂直に上昇する。

さらに、日本の不動産開発は長らく「ビジネスホテル」や「効率重視のシティホテル」に偏重してきた。「狭い部屋をたくさん作る」方が、回転率重視の国内出張需要には合致していたからだ。この過去の最適化戦略が、今の「富裕層向けスイート不足」というボトルネックを生み出し、さらなる価格上昇圧力となっている。

「おもてなし」の有料化と労働市場の復讐

日本が誇る「おもてなし」も、コストプッシュの一因となっている。これまで日本のサービス業は、現場スタッフの自己犠牲と低賃金によって、高品質なサービスを不当に安く提供してきた。いわば「やりがい搾取」によるダンピングだ。

だが、人手不足が深刻化した今、そのモデルは崩壊した。高度な語学力とホスピタリティを持つ人材を確保するには、世界水準の賃金を提示しなければならない。清掃、コンシェルジュ、レストランの給仕。これらすべての人的コストが、正当に価格へ転嫁され始めた。

アマンやブルガリといった超高級ホテルが提示する1泊数十万円という価格は、「人間による高度な奉仕」がいかに贅沢で高価な商品であるかを、如実に示している。無料のサービス(Free Lunch)の時代は終わったのだ。

東京は「グローバル・ゲーテッド・コミュニティ」になる

「いつか価格が落ち着けば、また気軽に泊まれるようになる」。そんな淡い期待は捨てるべきだ。

東京の高級ホテル市場は、完全にグローバル相場に接続(Link)された。今後、為替が多少円高に振れたとしても、一度上がった人件費とブランド価値が元に戻ることはない。ニューヨークのホテル代が下がらないのと同様に、東京のホテル代も下がらない。

これからの東京には二つの世界が並存する。インバウンドと一部の富裕層だけがアクセスできる「グローバル価格の東京」と、そこから締め出された人々が暮らす「ローカル価格の東京」だ。

626ドルという数字は、単なる宿泊料金ではない。それは、日本という国の中に、日本人でさえパスポート(外貨)を持たなければ入れない「経済的な国境」が生まれたことを告げる、冷徹な通告なのである。